2025.04.30 放送
季語「春惜しむ」は、「惜春」ともいいます。温暖で穏やかな季節が過ぎて行くのを惜しむ、さびしい気持です。タイピストは、今では懐かしい職業になりましたが、現代のパソコンのキーボードを叩く姿と重なります。ふと手をとめて、窓の外の光りや木々の梢、雲の様子、あるいはデスクに置いたコーヒーにさえ、行く春を惜しむ気持ちがこみ上げてくるのです。
(監修:谷)
2025.04.28 放送
楽屋は、出演者が舞台に出る準備や休憩をしながら、出番を待つ場所です。「春眠暁を覚えず」の眠りに落ちたこの役者さん、はっと目覚めてそこが楽屋であったことに気付いたようです。見回すと、馴染んだ鏡や衣装があり、現実に戻って少し落胆したような、ほっとしたような心持ちです。作者の初代中村吉右衛門は、明治十九年生まれ。高浜虚子に学びました。
(監修:谷)
2025.04.25 放送
輪郭を曖昧に滲ませる朧の中では、彼の世との境目もあやふやに感じます。この世を去り、次の世へ生まれ変わるまでの待ち時間、立ち込める朧の闇が濃く深くなるところを想像しました。転生にも待ち時間があるという発想がユニークです。深い朧の中にいるとき、ふと、今生の不確かさに思い至ります。
(監修:神野)
2025.04.24 放送
松山には、日露戦争の捕虜収容所がありました。捕虜となったロシア兵のうち、約六千人が松山に送られたといいます。松山で生涯を終えたロシア兵たちの墓は、彼らの故郷である北を向いて建てられました。草も霞んでそよぐ夜、朧の奥に滲む故国を、魂は恋うているでしょうか。
(監修:神野)
2025.04.23 放送
感熱紙とは、熱を感知して印刷する紙です。おなかの中の赤ちゃんの様子を映したエコー写真も、たいていは感熱紙で渡されます。ぼんやりとした暗がりの中に白く浮かび上がる命の輪郭は、朧夜の中で、より一層不思議な存在感を帯びて光ります。感熱紙は劣化も早く、その儚さが、瞬間の尊さをとどめます。
(監修:神野)
2025.04.22 放送
人魚姫が魔女の力を借りて人間になったように、いま人間として暮らしている「元人魚」がいたとしたら。ふだんは人魚だった頃を忘れていても、朧の夜には、海を懐かしみ歌を口ずさむでしょうか。私のとなりにいる人も、もしかしたら元人魚かもしれません。それぞれの出自を抱き、私たちは生きています。
(監修:神野)
2025.04.21 放送
お風呂上がりでしょうか。春の夜、子どもの耳にクリームを塗ります。指にすくったクリームのやわらかい感触も、子どもの耳たぶのふっくらとした弾力も、夜を包む朧の質感とゆるやかに繋がります。朧という曖昧模糊な空間に、ふと、子育てというもののよるべなさをも思います。
(監修:神野)
2025.04.18 放送
仕事や学校の帰り、カラオケで歌を歌ってストレスを発散します。外へ出れば、すっかり夜。春らしく、風景も朧に霞んでいます。さっきまでの余韻を引きずって、カラオケを出ても、自然と歌が口をつきます。日常の片隅にある人間模様を、朧の気配がおおらかに包み込みます。
(監修:神野)
2025.04.17 放送
各国の神話に見られる世界樹は、世界をかたちづくる一本の樹です。世界の中心にあって、天と地を支えていると考えられていました。現実と幻想の境目が曖昧になる朧の夜には、神話の世界樹が、本当に存在するような気もしてきます。朧は、世界樹をあふれる、あたたかな樹液なのかもしれません。
(監修:神野)
2025.04.16 放送
朧の夜、草も霞んで見えるのが「草朧」です。習い事の帰りでしょうか。弟と一緒にバスを待ちながら、グミを食べています。あたりはもう暗いので、不安な心もあるのでしょう。グミのやわらかな弾力に、朧もまたぷよぷよしているのだろうかと、その質感を想像します。気を付けて、おかえりなさい。
(監修:神野)
2025.04.15 放送
朧の夜のどこかに、成長途中の少女がいます。蛹の時間を経て昆虫が羽化するように、いつかは少女もモラトリアムの時間を脱ぎ捨て、大人になります。朧の闇の中、少女がまるで光を放っているように感じました。朧という季語のもつ光の感覚を生かし、少女の不思議な存在感が写し取られています。
(監修:神野)
2025.04.14 放送
春は空気中に水蒸気が多く、風景もぼんやりと霞んで見えます。そのさまを、昼は霞と呼び、夜は朧と呼びます。月や星も、街のともしびも、闇に滲みます。朧の夜、海に生きるジュゴンへ思いを馳せました。ジュゴンの淡い色を月の色だと感じたことで、海を照らす朧月のひかりまで見えてきます。
(監修:神野)
2025.04.11 放送
竹の葉は他の植物とは逆に四月頃に黄ばんで落ちていきます。それで「竹の秋」。もしかしたら、枯れたと勘違いするかも知れません。新葉の盛りの秋は「竹の春」といいます。この句は、夕方というのは、風が吹いているのかどうか、ちらほら竹の葉が落ちていくものだなあ、と春の夕暮れに浸っています。
(監修:谷)
2025.04.10 放送
こんな役を仰せつかったら、いい気分になれそう。お別れの場面でしょうか。大きな花束もいいけれど、胸から胸へ差し出す小さな花束もすてきです。誰かが庭に咲いたパンジーで作ったのかも。パンジーは幕末にオランダ船で渡来した花。蝶に似た形状で「遊蝶花」と称されていましたが、のちに「三色すみれ」と呼ばれて親しまれてきました。
(監修:谷)
2025.04.09 放送
極堂は、正岡子規、夏目漱石と同い年で、松山でともに句作に励みました。後に高浜虚子が継ぐことになった「ほとゝぎす」を創刊しました。今日の句は当時の例会に出して、子規に褒められたそうです。船上で春風に吹かれながら伊予に寄り、道後の湯に浸かれば、万時幸せな気分になれる、と言うのでしょう。今でも変わらない、私たちの道後温泉です。
(監修:谷)
2025.04.08 放送
「陽炎」は、春のよく晴れた日に、遠くのものがゆらゆらと揺れて見えることをいいます。気の遠くなるようなうららかな日和です。陽炎に遭遇したときの、不思議な気分を詠んだ句です。陽炎を抜けると、老いた自分がいるのでしょうか。小走りにこわごわと、でも陽炎の向こう側に行ってみたくなります。
(監修:谷)
2025.04.07 放送
「蝶」は実際には年中見られますが、季語では春に分類され、紋白蝶、黄蝶など小形の蝶が多いです。揚羽蝶など大きな蝶は「夏の蝶」になります。可憐な蝶が、庭に舞い込んできました。うちの蝶になってくれている。「しばらく」とわかっていても、うれしいものだ。作者・井泉水は、野村朱鱗洞や種田山頭火、尾崎放哉など優れた自由律俳人を輩出しました。
(監修:谷)
2025.04.04 放送
春の岬から海の船を眺めています。ゆったりと眩しく波間を滑る船。その存在を「忘れ物」にたとえたのがユニークでした。船は、はぐれた寂しさをまといつつ、やさしく光ります。忘れられたものたちも、たしかにそこで存在し続けているのです。そのことが、切なくもどこかほっとする、不思議な一句です。
(監修:神野)
2025.04.03 放送
雲雀は春の季語です。すこやかに鳴き、どこまでもまっすぐに高く昇ってゆくので、そのさまを揚雲雀と呼びます。天界とは空の上、神々の住むような遥かな場所です。雲雀は天界まで揚がり、さらにその奥まで飛んでゆけるほどに、一途に空を目指します。雲雀の命を通して、自然の底知れなさを描きました。
(監修:神野)
2025.04.02 放送
人間の体も、六十パーセント前後が水で出来ています。加工されていない自然のままの状態という意味では、人間の体の水も「天然水」のようなものです。さくらの花びらにも、吸い上げた水がうすうすと行きわたります。ひんやりとまぶしく、世界に水の気配が満ちてゆく春です。
(監修:神野)
2025.04.01 放送
親しく「君」と呼ぶ相手とは、すでに出会っているから、初めて会うことはもうできません。それでも、かつて初めて会ったときのように、君ともう一度出会い直したい。もしかしたら君は、もうここにいないのかもしれません。過ぎ去ったかけがえのないきらめきを、春の野の眩しさが、ふいに呼び覚まします。
(監修:神野)
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