2025.02.28 放送
寒さが長引いた春先でしたが、明日から三月。季語「春めく」季節の到来です。こわばった心身がほぐれて、視界も広がっていきます。窓から射しこむ明るい日射しや活発な鳥の声に、いよいよ春を感じながら、でも読むことはやめず部屋の中にいる時間。愛読書、あるいは新聞を大きく広げて読み耽っているのでしょう。幸福な空間に思えます。
(監修:谷)
2025.02.27 放送
「満を持す」とは、準備を十分にして時機の来るのを待つこと。今、待っている一つが杉の花粉だという句です。膨らみきった杉の花が、その時が来たとばかりに風を待つ気配。花粉症でなくても、なんだか恐怖です。もっとも、杉は風媒花なので、花粉を雌花まで運ぶために風を必要としているだけなのですが。
(監修:谷)
2025.02.26 放送
新聞のスポーツ欄に「来たぞ球春!」の見出しが躍っていました。選抜高校野球、プロ野球もオープン戦に向け始動。そして春の高校バレーなどの、さまざまなボールとともに、まさに春が動き出します。新しい言葉「球春」を季語として使った今日の句。観客席で、飛球を待つグローブか、あるいはベンチの選手の膝の上か。赤い色に、早春のときめきを感じます。
(監修:谷)
2025.02.25 放送
飯蛸は、頭が親指大の小さな蛸で、春先に産卵します。その産卵期に胴体に詰まった卵が、茹でると飯粒のようなところから、この名があります。小料理屋などでは、飯蛸をアピールするように半分に切って出されます。ぎゅっと詰まった卵は、何処から切っても二つ切りになり、その切り口が、蛸をたまらなく美味しそうに見せます。
(監修:谷)
2025.02.21 放送
Carpe diem(カルペ・ディエム)は古代ローマの言葉で、「今この瞬間を大事に楽しめ」という意味です。人生は短く、未来は分からないからこそ、今を大切に生きることが重要なのだと、古代の人は考えました。私たちの時間とは、薄氷のように儚く脆いものです。壊れて解けてしまう前に、その輝きを見つめます。
(監修:神野)
2025.02.20 放送
聖書の記す天地創造で、神が最初に発した言葉は「光あれ」でした。なぜ神は、この世界に、まず真っ先に光を生んだのでしょう。薄氷は、まるで光のかけらのように、うすうすと輝いています。万物を輝かせる光に目を細め、世界がここにあるということを、眩しく敬虔に受け止めます。
(監修:神野)
2025.02.19 放送
里山の風景でしょうか。切株のそばの水たまりやぬかるみに、薄く氷が張っています。ひんやりとした空気に、春先の日が眩しく差します。大きな切株と小さな薄氷、大小ふたつのものを対比させ、一句にまとめました。簡潔明瞭なリズムがきびきびと快く、春がずんずん近づいてくる気分が高まります。
(監修:神野)
2025.02.18 放送
私が、他の誰でもなく私である理由とは、いったい何でしょう。私の存在理由を自問自答する不安を、今にも解けてしまいそうな儚い薄氷が、感覚的に伝えます。「薄氷よ」と呼びかけているのも、すがるような切なさが滲みます。私らしく生きられる春を願って、薄氷の繊細な光を見つめます。
(監修:神野)
2025.02.17 放送
薄氷は、薄く解けやすいことから、儚い印象の強い季語です。しかし、この句では、夜明けを駆ける鶏と取り合わせ、勢いよく詠み上げました。まだぐっと冷えて薄氷の張る春先の明け方にも、たくましく生きている命があります。のぼりくる日の出の力強さにも、近づく春の躍動を感じます。
(監修:神野)
2025.02.14 放送
埴輪は、死者を弔うため、古墳に埋められたとされています。お墓に眠るその人を思って埴輪が流した涙が、じんわり地面に滲み出し、薄氷となっているのだとしたら。薄氷もまた、水のひとつの形です。命も水も、巡り巡って、この世界を形作っています。薄氷の淡い輝きに、誰かの悲しみを思います。
(監修:神野)
2025.02.13 放送
プラネタリー・バウンダリーとは、地球という惑星の限界を示す言葉です。人間の影響など環境に変化が加わっても、地球がもとに戻って安定した状態を保てるぎりぎりのラインを指します。今、人間は、プラネタリー・バウンダリーを超えようとしています。漂う薄氷の儚さに、壊れそうな地球を思います。
(監修:神野)
2025.02.12 放送
鶏インフルエンザにより、殺処分を余儀なくされている養鶏場があります。本来ならば鶏たちが賑やかに鳴き声を交わしているだろう小屋が、今はしーんと沈黙に包まれています。処分のため去っていった車の轍に、泥が滲み、薄く氷が張っています。命を扱うことの難しさを、薄氷の儚さが、静かに伝えます。
(監修:神野)
2025.02.11 放送
薄く氷の張った裏側に空気が閉じ込められ、気泡が見えることがあります。水と氷に挟まれて、行き場のない気泡は、うずうずと氷の下を動きます。「うずうず」という言葉には、じれったく待つニュアンスがあります。泡の様子を的確に描写すると同時に、解放される春をうずうずと待つ心まで伝わってきます。
(監修:神野)
2025.02.10 放送
氷とだけ言えば冬の季語ですが、「薄氷」は春の季語です。春先に薄く張った氷や解け残った氷を指し、「うすらい」とも「うすごおり」とも読みます。窯でこれからピザを焼くのでしょう。土には薄氷が張り、空気もきーんと冷えています。薪を割る音は空へと響き、あったかい春、熱々のピザが待たれます。
(監修:神野)
2025.02.07 放送
長く厳しかった冬が終わり、ようやく春の気配が辺りに満ちてくる。そのような春の景色を「春光」といいます。電車の車窓を流れていく早春の景色に、心身のこわばりがほぐれて行くようです。春光に触れたいと、思わず電車を降りてしまう気持ち、わかる気がします。暖かい陽ざしに包まれ、心地よい風に当たりながら、目的地までの次の電車を待ちます。
(監修:谷)
2025.02.06 放送
雁の鳴き声は高くてどこか寂しいです。日本で越冬し、春に再び北方へ帰っていく雁。海の夜空を延々と行く声は、尚更悲しく響くことでしょう。「沖白う夜は風寒し」の、漢詩のような韻律が胸に迫ります。古白は愛媛県上浮穴郡久万町生まれで、正岡子規と従弟です。二十三歳の時ピストル自殺で亡くなって後、子規が「古白遺稿」を出版しました。
(監修:谷)
2025.02.05 放送
春暁は春の夜明けの、東の空がしらみかける頃のこと。まだ薄暗く、鳥の声もこれからという時刻です。『枕草子』の「春はあけぼの」は、もう少しあとです。まどろみを破るように聞こえたのは、妻の「よいしょ」。およそ春暁に似合わないことばに思えて、笑いがこみ上げます。でも春の暁には、この掛け声もどこか艶やかに聞こえたかもしれません。
(監修:谷)
2025.02.04 放送
水仙の花には心惹かれますが、地上に出たばかりの緑の短い芽に、それとは気づかず過ごしそうです。気持ちが落ち込んでいると、うつむきがちです。うつむくのも悪くないなあ、と思わせてくれたかも知れません。水仙は、寒さに当たることが大事だそうです。冬の土を押し上げてまっすぐ出て来た芽に、勇気づけられました。
(監修:谷)
2025.02.03 放送
今日は立春。一年を十五日ごとに区切った二十四節気の一つで、春が始まる日です。まだ肌寒いながら「立春の」と、冠すると何もかも春めいて見えてきます。さざ波が音符を広げていく、と描いた光景がすてきです。胸の中も、春のさざ波で満たされてくるようです。大きな海、あるいは小さな水たまりでも、今日はさざ波が譜を広げています。
(監修:谷)
テレビ愛媛ではみなさまから
俳句を募集しています!
応募フォーム、メールアドレス、ハガキの中からご応募ください。メールアドレス、ハガキでのご応募は、お題を含む俳句(ふりがな)・氏名(ふりがな)・住所・電話番号・メールアドレスを記載してお送りください。一人何句でも応募可能です。選ばれた俳句は、EBC Live News「きょうの俳句」コーナーでの放送のほか、テレビ愛媛のホームページ等で紹介します。作者の氏名(ペンネームの場合はペンネーム)、お住いの市町名(ジュニアの場合は学校名)も紹介されます。
(採用された方には放送日を事前に連絡し、記念品を贈らせていただきます。)
※俳句の募集は、毎月第2月曜日、午後6時から開始します。
・応募作品は未発表で、ご自身の作品(著作権がご自身にある作品)に限ります。
・他人の作品に著しく類似、または他人の作品の盗用など、第三者の権利を侵害する可能性があると判断した場合は、応募の対象外とします。
・テレビ愛媛は応募作品による権利の侵害等に対し、一切の責任を負いません。
頂いた個人情報は、優秀句に選ばれた方への事前連絡並びに記念品をお送りする際にのみ使用させて頂きます。
メールアドレスからの応募:
ハガキからの応募:
〒790-8537 テレビ愛媛「きょうの俳句」係